エヴァンゲリオン新劇場版シリーズも最後、シンエヴァンゲリオン劇場版が上映された。上映も既に3日目、なんとか全ての情報を回避したので、まだ世に共有できない諸々を書いておく事にする。まだパンフレットも他人の考察も読んでいない状態であり、初見の勢いのままに書いている。これは自分自身に「他人の言葉の媒介ではない文章を書いた」と納得させるためである。それくらいにシンエヴァは分かりやすく、恐らく皆が同じ考察を抱くからだ。
シンエヴァは庵野秀明のオトシマエの物語であり、開放の物語だ。
シンエヴァンゲリオンのはなし #
前半、村での描写 #
シンエヴァの上映時間は2時間超と非常に長く、序盤は作画監督田中将賀の作品みたいな話がずっと続くが、これは明らかに Q で描けなかった内容のオトシマエだ。Q は東日本大震災の影響を強く受けており、その破壊を大きく作中に反映している一方、再生の面については殆ど触れられていない。エヴァQは90分未満で非常に短い作品だが、これは終盤のパートがカットされている事が知られている。恐らくここでやり残した事が破壊と対になる再生、復興の描写である。
人々が復興を進める中で何もせずじっと俯いているシンジは、Q以降会社にも出社できなかった庵野秀明自身だ。それでも「放っておいた方が良い」としてくれる仲間たちや、立ち直らせてくる安野モヨコ氏が見て取れる。レイのそっくりさんが安野モヨコ氏であるとすれば、「私はここでは生きられない、だが生きたかった」という言葉と共に退場する理由も納得できる。彼女はエヴァンゲリオンという構造の外の存在である。彼女は庵野秀明を立ち直らせた時点で役目を果たしており、後は庵野秀明(シンジ)自身がエヴァンゲリオンを完結させるのみだ。
村の描写は、Qのオトシマエであると同時に、庵野秀明がシンエヴァを作るまでの物語だと分かる。
後半 #
後半はヴィレとネルフの決戦が描かれた後、抽象的な描写の連続へと進んでいく。旧劇と似ているとする人もいるかもしれないが、シンエヴァは全く異なる目的をもった描写である事は明らかだ。
旧劇はエヴァのファンに対し庵野秀明が唾を吐き、虚構から現実へ戻れと訴え、ファンを開放した作品である。ではシンエヴァは何か。それは、自分達作り手側、そして登場人物達を開放する作品だ。シンエヴァは旧劇でやり残した事をやる、庵野秀明の最後のオトシマエだ。
勿論、旧劇を作った当時は庵野秀明自身も、エヴァを終わらせ、解放されたつもりだった。しかし、庵野秀明は新劇場版によってまたエヴァンゲリオンを作ってしまう。「人の言葉は信用できない」と語るゲンドウは正しい。エヴァという IP はファンを突き放した所で終わらない、それは、制作者達自身がまだエヴァンゲリオンを掴んで離していないからである。
ファンを突き放し、自分達でエヴァを終わらせる事は不可能だと知っている。では、誰がこのシリーズを終わらせられるのか。それは、登場人物達自身である。
終盤、神(作者)によって作られた全ての槍は潰され、作者が用意した既定路線としてのフォースインパクトを防ぐ手段は登場人物達には無くなってしまう。しかし彼らは、神の介在しない新たな槍を作り出す事によって、それを阻止する事に成功する。そこから始まるのは、登場人物達の解放の物語だ。
ひとり、またひとりと舞台を降りていき、現実へと解き放たれていく。旧劇にてファンを現実へ帰した彼らが、今度は自らが現実へ出ていく描写は、多少陳腐ではあれど感慨深いものがある。最後のシーン、大人になったシンジは声変わりをしている。シンジは少年期に別れをつげ、声優の緒方恵美も解放する。声優まで解放する徹底ぶりは面白い。
「シンジとマリ、レイとカオル、アスカと…かぁ」と思う気持ちは当然だ。彼らは作者や設定、ファンの解釈からも解放され、現実の存在になっている。だからこそ、誰を相手に選ぶかも自由なのだ。
感想 #
一本の物語としてはチグハグな出来だが、2回くらい涙が出たシーンがあるので記録用に残しておく
- 最初にトウジが映るシーン
いや、本編1秒やんけって話だが、泣いてしまった。Q にて突き放され続けたシンジに必要なものだと感じだからだ。(シンジ本人は優しさは辛かったらしいが)
- ミサトが髪を解くシーン
ここであまりのアツさに泣かない人はいないのではないか。Qから散々貯めた、見知ったミサトが帰ってくるシーンだ。そういえば、散々ファンが煽る「行きなさいシンジくん!」についてもフォローが入っているのは、これも庵野秀明のオトシマエっぽいよね。
追記(2021.03.17) #
見終わった後は「2回目はどっちでもいいな」と思っていたが、次の日にはまた見たくてたまらなくなってしまい、結局4回見てしまった。
そしてとっておきのネタに気づいた、それが 8+2号機の存在だ。
前作予告で初見時にポカーンとしながら「いや、絶対出てこないだろこいつ…」と思っていたらやっぱり出てこなかった訳だが、実は今回、登場している事に気づいた。
改8がアダムスの器をオーバーラッピングしている最後、なんと8剛毅の左側が赤く染まっている。きれいに左側だけであり、「ここにいたのか、8+2号機…」と4回目で驚いて心の中で爆笑していた。